「授業中に何をしていたかといえば、落書きでしたね。先生やクラスメイトの顔を似顔絵にしていたんですが、周囲からもなかなか好評で(笑)。でも飽きるんですよ。毎時間していると(笑)。
特に小学生、それも低学年の頃は教科書も薄いから、パラパラ漫画のしようがないし、偉人もそんなに登場しない(笑)。落書きに飽きてくると、友達に話しかけたり、人間観察をしたり、机の上でピアノを弾いてましたね(笑)。チョークをかわすコツも、教科書で頭をはたかれる際にどの体勢が一番衝撃が少ないかも体が覚えてくれていましたから。廊下に立たされているほうがトイレにも行きやすくて楽しかったことを今でも覚えています。こんな私に特に母親は相当手を焼いていたようで、保護者面談の前に私の皿に大嫌いなピーマンとグリーンピースを山盛りにされたことから、それは幼心にも感じとれました」(雑誌「スイーツ(笑)10月号」より)


「で、勉強は『するする』と言いながら、暇さえあれば勉強している妹の邪魔をしたり、木に登ったり落書きしたり踊ったり本や百科事典を読んでました。
洋楽&洋画かぶれな母親のおかげで、小学2年生にして口癖が『フ○ックユー』『セック○!』でした。両親が本好きで家には大量の本があったもんで、本の在庫には苦労しなかったなぁ。小学生にしては三島由紀夫とか壇一雄とかマセた本を読んでましたね。特に百科事典は暇さえあれば読んでいたので、おかげで様々な国や物事に興味を持つきっかけとなり、好奇心が刺激されたので、あれはあれで両親に感謝してます。
本当は漫画が読みたくて仕方ありませんでしたが、我が家では当時漫画が禁止されていて(笑)。それで友達からこっそり借りた”りぼん”と”なかよし”を妹と夜に懐中電灯照らしながら読んでいたわけですが、そのせいか視力がみるみるうちに悪化しました。今視力が0.03なのはそもそもこの時代が原因ではないのかと思ってます(笑)。
続きが読みたくて仕方ないけれど、返したあとは手元にないわけで(笑)『こうなりゃ自分で続きを想像して描いたほうが早いんじゃね?』と、500円玉を握り締めてGペンを買いに行ったことを覚えています。漫画を描く行為にも飽きると、妹と親父のエロ本を漁っては読み、分からない言葉は辞書で調べ、翌日には得た知識を友人に披露してドヤ顔してましたね」(雑誌「サバイバル生活」より)


「相変わらず両親へのアンサーソングとして言い訳を小説内で繰り広げていたが、ある日、昼間の校内放送で自作小説を発表させられるハメになった。人生初のプレゼンテーションだったとも言えるが、言い訳を述べる尺もなく、給食のデザートであったミルククレープが男子どもに強奪され、内容に爆笑され、その日の給食であったシチューはすっかり冷めており、休みの時間に泣きながら冷たいじゃがいもを口にかきこんだことを今でも思い出す。『金輪際、勉強の言い訳を小説内で述べることはするものか!』と誓った」(エッセイ「野菜ふりかけ)より)


「でも不思議だったのは、皆が口では勉強が『嫌だ嫌だ』と言ってるクセに、塾やそろばん教室に通っていること。『嫌ならやめれば?』と言った私に友人が真顔で『お母さんに怒られるもん!』と言ったことを昨日のことのように思い出します。(なんだかんだでみんな勉強が大好きなんだなぁ)とがっかりしましたね。私はガチで勉強が嫌いだったから頭を拳骨で叩かれようが物置に閉じ込められようが意地でもしませんでしたよ(笑)勉強の情熱はもちろん遊びに注ぎました。おかげでバッタやてんとう虫とは今でも仲良しです」(雑誌「墓を尋ねて三千里」より)


謎多き女6人集団『NESHONBEN GIRL』(通称ネション)
『完全フリーダム』をスローガンに掲げているだけあり、メンバー間で明確なルールは存在せず、争いが絶えない。社会通念や常識を持ち合わせた人間が皆無のため、無法地帯と化しており、日本の法律を以ってしても制御が不可能である。

メンバー間では「人の物は俺の物。俺の物は俺の物」というジャイアン不条理主義が暗黙のルールとして定められているが、これはメンスの母校の校訓によるもの(要出典)。

メディア出演の歳は、広報SASEKO主導の下で行われることが多いが、脈絡のない話を延々と繰り広げることが常で、関わる多くの人々を不快にさせている。
しかし、フリーダムな空間の中は、時として思わぬ迷言や逸話が生まれることも多いようで(要出典)ノンフィクション作家サマンサ=ヒロッキーの手により、ネションメンバーの幼少時代の半生をまとめたエッセイ『ノムラくん、ハイ!』が刊行され、ファンの間で大きな話題となった(要出典)。ベストセラーとなった同作品は連続テレビ小説としてドラマ放送された(要出典)。また、小説『極楽の谷間に…』『ヤドカリ探検人生発見隊』は文部化学省推薦の教科書に採用されている(要出典)。本項はインタビュー等のメディア出演や取材をもとに述べる。


「昔から勉強が大嫌いであった。小学校入学当初の自分を今でも思い出す。教科書が配られ、『これから皆は勉強をします。教科書に名前を書きましょう』と言われた瞬間、何故だかお先が真っ暗な気分になった。(もう、朝早くおきてバッタや野良猫を観察することも、お昼に木登りすることもできないのか…)と。その日はおやつのうまい棒もコアラのマーチも喉を通らなかった。そもそも何故国民すべてが否応なしに6歳から勉強を始めなくてはいけないのか、理由が私には分からなかったし、学校の存在意義というものもよく分からなかった。
分単位でスケジュールが管理されている理由も、制服があったり、休み時間が30分だけだったり、給食をグループで食べなきゃいけなかったり、1限が45分という理由も、義務教育という制度も。理由がまったくもって不明だったし、納得のできる答えを教えてくれる大人はいなかった。そんな私が毎日休まず学校に通っていた理由は、放課後に秘密基地で遊んだり、ラッパを吹いたり、公園に落ちているエロ本を読んだり、買い食いしたり、友達の家で”りぼん”を回し読みするのが目的だった」
(エッセイ「さらば牛乳給食」より)


「対して当時の妹は勉強が大好きで、成績優秀だったんですよ。これがまた両親の逆麟に触れたようで(笑)。えっ?私はって?もちろん、妹の答案用紙を細工していましたよ。100点を10点に細工したり、それはもう匠の技で様々な嫌がらせを(笑)」(「月刊アフロディーテ」より)


「ある日人里離れた病院に連れて行かれた。『この子は知能は正常です。ただ単に注意力が散漫なだけでしょう』。両親は安堵とも困惑ともとれない複雑な表情を浮かべていた。腹が立った私は病院で便器からはみ出るほどの大便をお見舞いしてやった」(エッセイ「私はダリ?」より)




「そんな両親へは、アンサーソングの如く自作小説で様々な言い訳を展開しました。小学校1〜3年頃まで、特に勉強にまつわるネタ(?)がやたらと多いのはそのせいですね。若干8才にして現実逃避していたのかと思うとやるせないですけど、まぁこの状況だったら仕方ないですよね〜(笑)」(「月刊ポレポレ」より)


「小学2年生の、あれは夏休みも終わり、新学期の始った9月も中旬を差し掛かる頃のことだった。両親に本気でキレられた。口角泡を飛ばす親父の横で母親はうつむき、正座をしながらぐすんぐすんと泣いていた。『どうしてお前は頭が悪いんだ、何故勉強しようとしないのだ』と。『ただ単に勉強に興味が持てないからだ』『逆に教えて欲しい。何故勉強をしなくちゃいけないかを。納得のできる答えを教えくれたら勉強してやってもいい』と迫った私への親父からの答えは拳骨だった」(エッセイ「骸骨と残像」より)

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